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スタッフブログ

空の旅から

 11月の末、JALのSkywards2012.12を開くと(p23)、本屋さんで働く文筆家の木村綾子さんの文章が目にとまる。綾子さんは、本には、その本その本で読み方があるものだと考える人たちの一人だ。この小文では「余白を味わう」ことの(あるいはそういう時間を持つことの)楽しさとほろ苦さを綴っている。佳い文章なので、二度三度と読み直してみる。なにせ機内の時間は(移動の速度とはうらはらに)ゆっくり流れるから・・・・

 いったん雑誌から目を離して、飲み物をもらったり眼鏡を拭いたり、そうこうしながら、また、もう一度、紙面を眺めると、綾子さんの文章のある部分が、淡い色を帯びる感じで(彼女の言葉をかりれば)「物語の切れはし」として浮かび上がってくる。そして、その部分を丹念に読み返していくと、ある種の雰囲気がじんわりと気持ちよく胸に沁みてくる。(それが、どの部分かというのを、ちょっと画像でお披露目してみましょうね)

 不思議なことに、このように「物語の切れはし」が心に落ちると、もうそれは自分の一部になってしまったということなのか(どうなのか)、今度はフェードアウトしていた周辺に目が行くようになり、「物語の切れはし」だった部分が、まるで「余白」のように働いて、想像力の踊り場になってしまう・・・

 あれっ、こんな行ったり来たりの感覚は、きっと綾子さんの感性とは違うんだろうなと苦笑いしながら、ちょうど紙面の真ん中に目を落とすと「かもしれなくて」という直子さん(←綾子さんが読んだ歌の作者)のワードに行き当たる。ああ、僕は、この二人の弥勒さんの手のひらの上で遊んでいただけなのかと思い定まった・・・「かもしれなくて余白を味わう」