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スタッフブログ

記憶とジグソー

 フェルメール(Vermeer)の「青いターバンの少女」(真珠の耳飾りの・・:Girl with a Pearl Earring)が、ついに日本上陸(@神戸)、さらに、福岡の九博には「真珠の首飾りの少女」ほかとのこと。神戸はいけないけど大宰府には行ってみるかな、あのフェルメール独特のタッチに再会するために。

 僕がNTTの主任研究員だったころ、2年間だけ日比谷の研究開発本部に籍をおいていた。当時、研究開発副本部長でIEEE-LEOSのPresidentだった池上徹彦さん(現・ISIT研究顧問、前・文科省宇宙開発委員長)の命(CLEO-Pacific Rim創設に向けた情報収集)でCLEO-EuropeのSteering-Committeeに代理出席するためアムステルダムに出張させてもらったことがある。たしか1994年の秋だったから、もう18年も前のことだ。

 会議の報告を日比谷にFAX(当時のワタクシはまだユビキタスではなかったのです)した翌日、ロイスダールとレンブラントとフェルメールを見にデルフトのマウリッツハイス美術館に行った。「空のラファエロ」と異名をとるのは印象派のブーダンだけれど、彼に先だって広いオランダの空を描き続けたロイスダールがお目当てだった。彼の絵をたくさん見て大きな満足を得たけれど、それにも増して幸運だったのはフェルメールの絵を直に見ることができたこと。絵画の場合、実物とその印刷物は全く別物ということはよくある、特に色彩の面で。でも、フェルメールの場合はそれに加えて「丁寧さの実感」が圧倒的なのだ。つまり、画面の表面の絵具の凹凸のなんともいえない丁寧なタッチが、本物以外では本当に味わえないということがはっきりわかった。そして彼の絵のほとんどが思いのほか小さいサイズであるがゆえに、さらに丁寧な作りが強調されて感じられたのだ。

 もう一つの驚き(これはガッカリだったのか幸運だったのか、当時の気持ちを思い出せないけれど)は、かの有名な「青帽少女」が大作「デルフトの眺め」とともに修復中だったこと。

 それをガラス越しに鑑賞したときの写真が左下。ここは地下一階。照明は自然の光、そう、天井全面がガラス張りだったのだ。おそらく後付の設備?だから採光に苦労しない最上階ではなく、美術館の敷地を張り出すように地下階を拡大して造ったってことだろう。

 ただ地下で古い絵を蘇らせるという行為は、何だかシンボリック。
 まるで脳の底に埋もれていた記憶が少しずつ目覚めるような感じで・・・

右上の写真は、若いfacebookの友のタイムラインにUPされていたもの。何だか妙に心に響いて画像保存してしまい、今、それをオリジナル修復現場の写真と並べてみたわけで・・・けれど、こうしてみるとジグソーを解くのは、修復というよりは記憶の読み出しに似ているなと思う。左上からの光が残された様々な色合いのパーツを組み上げていくヒントになりそう・・・・

 だけど、記憶なら、もうこれぐらい再現してしまったら、もういいって感じかもしれないな。だからかもしれない、僕にとって右上のジグソーの状態で十分だもの。下の句なんていらないって心境になっている。不思議。

 いや違う。記憶は鮮明に感じられるときでも、細部を詳しく見ようとするとたちまち像がぼやけてしまうから。だから、ジグソーというのは「こんなふうに細部まで鮮明に思い出せたらいいな」という人間の、決して満たされることのない願望に応えようとする健気な遊びなのかも・・・・