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意外!エチカはオートマチック。(上野修スピノザ講義より)

解説書が出ると常に気になってしまう人が三人いる、上下前後左右から多角的に見ることができそうな誘惑に駆られて。スピノザとゲーテと松野孝一郎。

まだ日本国内に存命の三人目以外は、古くから世に良く知られた偉人でサイエンス誌上で圧倒的なIQが算出されたり、マズローが欲求五段階の更に上にある「超越層」の住人としてアインシュタイン博士などとともに指名していたりする人物たちである。

その一人ベネディクトゥス(バールーフ)・デ・スピノザを描いて最も説得力が高いのが上野修である。今日も彼の新書の付箋のあるページを開いてみると:

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我々の欲望はみな(意識を伴った同じ一つの)「衝動(コナトゥス:自己の有を肯定し続ける力)」による。とすれば:

欲望が欲している善、実現すべき目的なるものは、「衝動が付与する欲望の強度(インテンシティ)」として理解できる。すると:

「ある目的のために欲望を捨てなければならぬ」という発想は、そもそも間違っていて、本当は「より強い欲望がより弱い欲望に勝り、より大きい強度の善がより小さい強度の善に勝って出てくるだけの話だ」ということが分かる。したがって問題は:

道徳家が言い立てるように「善なる目的のために欲望を断念する」ということではない。

「とことん忠実に最大の強度を持った善を的確にマーク」し続けて、そのまわりに他の諸々の善が自然と編成されてゆくのを見届けること、これが「エチカ(倫理)」に求められる全てである。

(上野修『スピノザの世界(神あるいは自然)』より)
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スピノザの『エチカ』は数学書の体裁をとっており、定義、公理、定理、証明、備考と読み進むうちにオートマチカルに彼の思想が頭に入ってくる仕掛けになっているものの、こうして解きほぐしてくれる人の文脈を追いながら括弧付け(「 」や( ))などで自分なりに注解しつつ読み取っていくのが実に愉快である。というわけで上記は上野先生の文章に忠実ではないのだ、あいすみませぬ。

二人目のヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテは、エッカーマンが書き残した『ゲーテとの対話』が何よりゲーテ本人を現前させてくれるようで、時々岩波の文庫をめくってゲーテのお宅を訪問する。そのとき足元を見ると入口の床には「SALVE(ようこそ)」という挨拶が刻まれているのが実にオシャレなのだ。

三人目の松野孝一郎先生は、海底熱水孔付近でタンパク質(オリゴペプチド)が如何に熱平衡を脱して高分子量化するかを実験的に原理証明した論文(Science, 283(5403), pp.831-833, (1999))で一躍有名になった生物物理学者。その松野先生は「科学そのもの」を根本から省察する姿勢で『プロトバイオロジー(生物学の物理的基礎)』という本を先ず英語で出版して、その2年後自身の日本語訳を書いて我々にも彼の哲学的思考を辿る機会を創ってくれたり、この「プロトバイオロジー」もそうなのだが「生物ばかりでなく物質すべて(もちろん素粒子を含む)に関して「保存則を有限の速度で『(さすらう不都合として)しどろもどろに辻褄合わせ』している」という彼独特の『内部観測論』で自然の仕組みを整理している(なんのことであらふか^_^)。

実は、その「内部観測」によってとらまえられているのは、生物や物質の中の「強度(インテンシティ)」だと松野先生は云う。スピノザ風に訳せば、非生命にさえ宿る「コナトゥスのインテンシティ」なのかもしれませんなあ。先日、鳥栖の研究会で「微生物の機械共生」に関して講演したとき、松野先生の『プロトバイオロジー』について少しだけ紹介したので、ご興味のある方は下の画像の右半分を参照して下され。

話の発散を強引に食い止めてみよう:「エチカ(あるいはこの宇宙の調和の原理)は、コナトゥスのインテンシティにとことん忠実な内部観測を怠らなければ、オートマチックに身についてしまうものなのだ」と。それに関してゲーテだったら、そう、外部観測結果を境界条件として整然と成り立つニュートン物理学に対して、光の研究で真っ向から対決したゲーテだったら、どうコメントするだろう?
protobiology