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侘び、あるいは、神無月の時雨
昨日の福岡を濡らした冬らしくもない生暖かな雨の心地悪さを忘れされてくれる歌に、その夜のうちに出会えたのは本当に幸運なことだった。
いつわりの
なき世なりけり
神無月
誰(た)がまことより
時雨そめけん
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10月の時雨は、冷たく刺すような真冬の氷雨やむんむんと意識まで朦朧とさせる梅雨の大雨などとは全く違って、正直で偽りのない自然のありのままの本当の姿の一つの発露かと思わせるほど、心に沁みる。10月の時雨が醸し出す斯くなる侘びの実相を一体これまで誰が歌ったことがあろうか・・・
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歴代屈指の歌い手たる定家ならではの深い情緒と傑出した表現力の賜物ですなあ。太田裕美とともにSeptember Rainに胸の震えを投射した人にも、そのすぐ次の神無月の細くてどこか柔わらかみのある時雨は、自分と自然との間にはまた別の回路があることを気づかせてくれるだろう。
漱石が寅彦に「これが俳句というものだよ」と指南した凡兆の句が蘇る。
時雨るゝや
黒木積む屋の
窓あかり