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スタッフブログ

アーレントと技術的特異点(Technological Singularity)

「私たちは今、地球に拘束されていながらまるで宇宙の住人であるかのように活動し始めており、そこで本来ならば理解できる物事も理解できなくなるかもしれないし、考えたり話したりすることが永遠にできなくなるということもありうる。

そうなると、私たちの思考の肉体的・物質的条件となっている脳は、私たちのしていることを理解できず、したがって、今後は私たちが考えたり話したりすることを代行してくれる人工的機械が実際に必要となってくるだろう。

技術的知識(ノウハウ)と言う現代的意味での知識と、思考とが、真実、永遠に分離してしまうなら、私たちは機械の奴隷と言うよりはむしろ技術的知識の救いがたい奴隷となるだろう。そして、それがどれほど恐るべきものであるにしても、技術的に可能なあらゆる〈からくり〉に左右される思考なき被造物となるであろう。」

 (ハンナ・アーレント『人間の条件』プロローグ)

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 僕の生まれる頃から書き始められた本とは思えない、今日でさえ、なお未来を見据えた論述になっているのは、ちょっとやそっとでは追付けない頭のキレを持ったおばさんなのでした、アーレントは。

僕は人工知能の開発を敬遠する者では決してないけれども、その進み方に関して考えている三つの様相:
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(1)機械の3V(量、速度、多様性)における量的高性能化で、あたかも脳を覆うがごとし
(2)脳の使い方が機械的になった分、機械との距離が無くなる方向。
(3)量的3Vによらず閉鎖系内部の強度の相互作用によって自己創発

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これらのうち一つである(2)を、50年も前にアーレントが殆ど的確に指摘してくれているのに驚きながらも心強く感じ入ってしまったのだった。

この(2)は、冒頭引用の第2パラグラフでアーレントが述べていることでしょう。その次のパラグラフは、内容が衝撃的ではあっても前段の悲観的演繹であって、発想自体のオリジナリティは、やはり、第2パラグラフの「脳が自身が司るべき思考や行為を把握できず機械代行レベルに機能ダウンしてしまう」という観点にあると思います。

人間の脳みそが気付かないうちに、しぜ~んと、機械と変わらない機能のうちに偏向して行き、あたかも「飛んで火にいる夏の虫」のように人工的機械の代行可能性を自分の方から迎え入れるようになる流れの描写。ホント、リアリティがありますね。

そうした中で人間の脳の本来の機能を、(よくあるように)神秘の方に振るのではなく、人と人の間(in-between)でこそ発動される「活動」の根拠として捉え直すのが、アーレントの(政治的)哲学の真骨頂なのでした。それは、実は、(3)において、H-Hで起こるイメージだったのかもしれないなあと思います。

今回は、とりあえず、ここまで。次回は、(3)自己創発マシンシステムについての予定。