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スタッフブログ

光秀追想〜連歌の仕組み

江戸時代における明智光秀の評価は決して低くはなかったそうです。「へうげもの」で有名になった「明智が妻」の句を捧げた芭蕉も光秀ファンの一人。

また「光秀版ほととぎす」の俳句(下記)を筒井康隆は「幼稚!」と一蹴しますが、僕は好きです。初夏のキャンプで聴くホーホケキョは繁み(木の間)の何処にホトトギスがいるのかとキョロキョロしますもん。「一声」ばかりが風情ではあるまいと思います。句の調べは、芭蕉よりも御贔屓の山口素堂勘兵衛に似ているかも(〜だから愛着を感じるのかな)。

「ほととぎす幾たび森の木の間かな」(明智光秀)
「国々は猶(なお)のどかなる頃」(光慶/光秀の長子)
「月さびよ明智が妻の咄(はなし)せむ」(芭蕉)

さて、その光秀が本能寺の前に詠んだ「ときは今天が下しる五月哉」が収録されている『天正十年愛宕百韻』で《連歌の仕組み》を勉強してみました。

連句(歌仙)は、もう一年ほど仲間とずいぶんやったのですが、連句の兄貴分の連歌の仕組みは、この『愛宕百韻』を丹念に調べるまでは全く知りませんでした。

575の発句に77を付けて57577の短歌を仕上げる。575→77の繰り返しはまさに連句に踏襲されてはいますが、連歌では常に575-77としてキッチリと自立した短歌に仕上げて紡いでいくのです。

以下に『天正十年愛宕百韻』の最初の8句(①〜⑧)を掲載しますが、仕上がりは「7セットの短歌」が連なったものとなっています。

最初の575-77(①-②)ができると、その77(②)を下の句として、その上に新たな575の上の句(③)を付けて、また趣向の異なった短歌を創り出すという仕組みです。

連句は、想像力を張り巡らし発想を転換して新たな景色を次々に現出させるのが醍醐味で、極めて知的な作業の愉しみにやみつきになります。

一方、連歌にも、もちろんそうした知的営みは欠かせないものの、下記の掲載で感じられる通り、歌の半分の情緒を丁寧に取り込んで風情を重層化していく絢爛たる趣が魅力だろうと感じました。一つの美しいテーマを大切に紡ぐ点に連歌の秀でた特徴があるようです。

以下、サンプルです。とても良く連歌の仕組みが分かるでせう。

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『天正十年愛宕百韻』

初表 明智光秀の発句①から。

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①ときは今天が下しる五月哉
②水上まさる庭の夏山

五月になれば雨が天下を濡らすよの。
庭が景色を借りている彼方の夏山から発する川は五月雨を集めてくるでしょう。

– – –
③花落つる池の流れをせきとめて
②水上まさる庭の夏山

池に浮くたくさんの桜の花びらが流れてしまわないように堰き止めよう。
五月雨の夏山からの川水が池に入って水嵩が増すだろうから。

– – –
③花落つる池の流れをせきとめて
④風に霞を吹き送る暮れ

時の流れを堰き止めることはできぬものか。
花は散り春霞は風に吹き払われ、春は暮れ行く。

– – –
⑤春も猶鐘のひびきや冴えぬらん
④風に霞を吹き送る暮れ

鐘の音が朦朧とせず冴えて聴こえるのだろうか。
春が暮れ霞が風に飛ばされれば。

– – –
⑤春も猶鐘のひびきや冴えぬらん
⑥かたしく袖は有明の霜

春には鐘の響きは冴えぬであろう(ここで季節を秋に転ずる)。
秋の明け方の袖の霜は(別離の)涙が凍ったものであろうか。

– – –
⑦うらがれになりぬる草の枕して
⑥かたしく袖は有明の霜

心が萎れるような旅になって、
凍った袖が有明の月光に光ることよ。

– – –
⑦うらがれになりぬる草の枕して
⑧聞きなれにたる野辺の松虫

辛く寂しい旅ではあったが野宿が続いたせいか、
悲しげな松虫の声にも慣れました。
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