ここから本文です

スタッフブログ

「技術の身近さ」はコンティンジェンシーなリスクの海と化した自己言及型現代社会を照らす灯になりうるか?

コンティンジェンシーなリスクの海と化した自己言及型現代社会??←そのあたりの深く込み入ってはいるが正に現代社会の特質に関わる議論は、編集工学のカリスマ:セイゴオ・マツオカ(松岡正剛)の↓千夜千冊↓を参照していただくことにして:

http://1000ya.isis.ne.jp/1347.html
(山口節郎「現代社会のゆらぎとリスク」)
http://1000ya.isis.ne.jp/1351.html
(ノルベルト・ボルツ「意味に餓える社会」)

ここでは、次の図を手がかりに、「技術の身近さ」に目を向けてみましょう。

 

3.11以降、エネルギー問題に関しては、非常に荒っぽく言えば「原子炉か、太陽光パネルか」みたいな不毛の議論が今もどこかで続いています。この論点は、規模感の違いを乗り越える双方の努力が誠実でないため、なかなか前に進む気配がありません。

そんなとき、一度西南大学でご講演を拝聴したことのある経営学博士で九大教授の堀尾容康先生とお話してみると、まさに目から鱗でした。先の図は、そのとき先生が示してくださった図版をこの稿に合わせて簡略化して勝手に我田引水の題名を付けたものです。とにもかくにも非常にクリアーな鳥瞰図でせう。堀尾先生は、こうしたコンセプトワークばかりでなく、下記の新聞記事のように実社会への働きかけを活発になされている点がさすがです。

 

さて、最初の図に戻りましょう。第4次エネルギー基本計画で記された「発送電分離による市場開放」が2018年~2020年に実施されれば、これまで議論の俎上にしか登らなかった「電力グリッドシステム」が、いよいよ地域規模で現実のものとなってきます。図で言うと、縦軸のシステム規模のちょうど中間に位置するところですね。

なかでも、現行の送電インフラをそのままスケールフリーなセル型のグリッドへスムーズに移行可能な「デジタル・グリッド」(東大・阿部力也先生)などが立ち上がると、左下のスマートハウス的な規模から右上の大規模集中発電までをシームレスにつないでしまうようなことが実現可能になってしまいます。身近な生活の何割かには自然エネルギーを何の心配もなく自由に使う(阿部先生はそれをブーストハウスと呼んでます)、バックアップはデジタルグリッドからの系統電力が担う、そうすると家庭のブレーカはまずは10mAでよいかも、みたいな世界に入っていく。

エネルギーシステムが自宅に身近に組み上げられて、それが孤立的でなく社会の中の一つのセルとなって、社会全体のエネルギー融通の様子を見通すことができるようになって、つまりは「自立と共存がセットになった仕組み」が個人と社会を可視的な構造でつないでいることが実感される・・・そんなイメージが広がります。

「世の中を支える技術が身近にある!」

そのことが、社会全体のリスクを自分の真っ当な感覚で把握できるようになってしまうかもしれない・・・それが、この稿でお伝えしたいことの全てです。

そこで、冒頭で先送りした「コンティンジェンシーなリスクの海と化した自己言及型現代社会」に触れましょう。

今の社会は、「複雑性」が「不確実」で「不透明」なものに律せられて、そこに「偶然」が出入りすることでリスクと選択肢がいつのまにか抱き合わせになってしまい、つまりは「偶然を必然として受け入れざるをえない」構造になってきています(松岡1351夜)。「コンティンジェンシー」とは「偶発性」とか「偶有性」とか訳されますが、物事が先に進んでいくときに周りとの関係のちょっとしたきっかけで事態が多種多様に予測不能に陥っていくイメージでしょうか(松岡1949夜)。それがどうして起こるかと言えば、社会が込み入って複雑になったこと以上に自分がそこに組み込まれることによって「自己包摂的」「自己言及的」になって、自分と出来事の見分けがつかなくなって「複雑性の中でぷかぷか浮かんでいる」状況に陥ってしまうから(松岡1351夜)。そういう世界では、選択の自由に伴って「リスクの海」が広がり「安全さえ危険の函数として」扱われざる得なくなってしまう(松岡1347夜)。「自己包摂的・自己言及的」とは「クルマづくり」に対する「細胞づくり」のようなもの。自動車工場では自動車を作り出すために部品を用いますが幾つもの部品が組み合わさって作り出された自動車 は、それを作り出した工場とは別物である、当たり前だけれど。一方、細胞内で起こっていることは工場が工場を作り出すあるいは自動車が自動車を作り出すような仕組みで、これが自己包摂・自己言及の様態(Wikipedia”オートポイエーシス”)。

自然界の細胞はちゃんと機能しているのに、同じ「自己言及型」の現在社会は「コンティンジェンシー」の前に混迷するばかり、それは、人間の社会が本当の意味での社会を築いてはいないということかもしれない、と松岡さんは考えています。そうして、彼は、「徹底的にネットで言葉を交わして加工・訂正・編集をして行った方が社会の「本当の意味」に近づける可能性がある」と記しています(1351夜)。これは彼のBigDataに対するスタンスでもあるようです。
http://www.dhbr.net/articles/-/1562

そして僕は(えへっw)、近未来社会において「エネルギーシステム技術が身近で機能」していることが、大規模なエネルギーシステムの意味を見失わないただ一つの方法ではないか、と思ったのでした。つまり、本稿の長いタイトルの問いに対して、僕は「なり得る」と答えようと思うのです。