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スタッフブログ

白熱教室・・・私たちの唯一の杖は何か?

カミュのムルソーやカフカの測量士Kが陥った不条理の世界こそ、僕らの日常に共通な状況だ。だからといって、自分たちに何も負い目は無いかというと、コトはそう簡単ではない。常に被害者のつもりが、縁をたどれば、必ず加害者の立場に通じている。
ならば、この世から逃げ出すか・・・メルヴィルがピタゴラスの言葉として引用した「向かい風は追い風よりもはるかによろしい」とは、畢竟、立ち向かうしか生きる道はないということだろう。そのとき、”JUSTICE”だけが、この世を渡る杖になると教えるのが、白熱教室のマイケル・サンデルだ。そして、そんな彼を勇気づけたのが、子育てしながら(?)東京大学に通う”エリコさん”だった。2年以上も前の、あの放送だけは忘れられない・・・長いけど、引用しますね。

 

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サンデル: 
ここでもう1つ、リスクのアウトソースの例を挙げて見よう。みんなに考えてもらいたい。アメリカの南北戦争の徴兵制度に関する話だ。当時の徴兵制度では自分の代理人、つまり傭兵をすべて雇って身代わりに戦場に送ることが法律で認められていた。まさに究極のアウトソースだ。これはフェアだろうか。それとも認められないことだろうか?

ケンジ: 
フェアだと思う。自由意思があり、本人がそのリターンを得たいがためにリスクを犯す。そういった自分のオプションの中から、あえて自分でリスクを取ったということでフェアだと思う。

サンデル: 
問題はないのだろうか。君はどう思う、エリコ?

エリコ: 
お金で誰かを雇う側の人たちには相手のリスクをできるかぎり低くする責任があると思う。誰かを代理で戦争に送るのなら、戦争を早く終るように手を尽くすべきだ。その人が安全でいられるように努力すべきです。

サンデル: 
エリコ、マイクはそのまま持っていてくれ。今の君の提案は、これまでの議論に新たな視点を加えるとても大切な意見だ。今の話を原発の立地問題についても当てはめながら考えてみよう。君の意見では、リスクをアウトソースすることは認めらてもよい。ただし、その条件として、たとえば金持ちが傭兵を雇ったり、あるいは、実際に原発をお金と引き換えに受け入れてもらった場合に、お金のやりとりが終了したあとにも、責任は負わなくてはならないということだね。

エリコ: 
今回の場合でも、東京や近郊の人々は福島の原発に注意を払い続けるべきだった。私たちには、その責任があったと思う。

サンデル: 
非常に力強い考察だった。リスクのアウトソース。そこにはビジネスの取り引きとは違った倫理が必要だという指摘だった。金銭の取り引きがあった後にも道義的な責任があるということだ。それは、取り引きを始めた意志が自由意思によるものかどうかという議論を超えて存在する責任の話だ。

今夜、私たちは災害の補償のあり方の議論から始めた。その責任は自然災害と人為的な災害の場合で、どのような違いがあるかを考えた。それぞれについて興味深いディスカッションができたと思う。そして私たちは議論を重ねた。被害者への補償は誰が払うのか、誰が金を払うのか、それはもちろん誰に責任があるのかと表裏一体だった。そして最後の質問は、あなたは原子力発電所のそばに暮らすことができるかという問だった。これについては原発の利用に賛成した人でも、『いやそれはできない』と正直に答えた。するとここで新たな問題が発生した。原発を利用しながらも、そのリスクはお金でアウトソースすることが許されるのかという問だ。賛成する人は『これは、取り引きでビジネスだから問題はない』、そう言った。一方で『相手にとって自由な選択とは言えない』、と反対する人もいた。あるいはリスクが大きすぎてアウトソースが許されないことも世の中にはあるのかもしれない。

すると、東京のエリコが新たな視点をこの議論に提供してくれた。もしかすると、リスクのアウトソースは認めてもよいのかもしれない。ただし、金を払っても責任は負い続ける。お金を払ったからといって責任は消えることはないのだと。

今夜の議論はややもすると金や経済の話しばかりに聞こえたかもしれない。決してそうではない。これはつまるところ、人間の責任とは何かという倫理的な議論なのだ。こうした難問に答えを出すためには私たちは率直に議論を交わし、相手に対する責任、義務、公正さ、正義というものの意味を問い続けなくてはいけない。

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マイケル・サンデル白熱教室(2011.09.10)「震災復興 誰がお金を支払うのか」