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スタッフブログ

多様性(その3) discreteを集めていつか相転移

建築家・原広司の「集落の教え100」(写真はその第一ページ)は、いわゆる深イイ本で、業界を問わず評価が高い。それゆえかどうか、職場の図書にも一冊ありますwww

原いわく:「位相空間」は、「部分」の豊かさに関する示唆を与える。

むむむ、どういうことかと先を読むと、「密着位相(trivial topology)」と「離散位相(discrete topology)」を対比してみよ、と云う。

むむむ、その二つは、以下のように説明されている。

「密着位相」とは:
・「意味ある部分」が最も少ない↓
・「全体」を構成する部分は二つ。空集合と、全体そのもの。
・社会スタイルの例:ファシズム構造。

「離散位相」とは:
・すべての「部分」に「意味がある」↓
・部分の中に部分がある。部分の和が新たな部分となる。
・社会スタイルの例:ひとつの理想像

なるほど、そういうことか。

「離散位相」は、一つひとつの部分に意味があり、いくつか合わさって部分集合になったらなったで新しい意味が生み出されるから、豊かさの観点に立てば、どの部分も欠くことができない。一方、

「密着位相」は、部分に個性がないから、ファシズム(全体主義)構造や、それが穏やかに日常化している感じの今の「大衆社会」の構造に似ている。
この構造の中で一番怖いのは、「二項対立関係を人為的に(都合に応じて無理矢理)設定できること」に対して歯止めが効かないこと。・・・昔でいえば「いわゆるユ○ヤ人」、今でいえば・・・既に数えきれないくらいありますね。一つに収束しないことで極端に走らない一方、蔓延を止められそうにないのが怖い。

さて、そろそろ、少しは現実的な感想を述べてみましょう。原さんの言葉から勇気を引き出せるかもしれないと気付いたことについて。

みなさんのPC画面で読み取って頂けるかどうか、画像の右下あたりに記してあることを書き出してみると:
-+-+-+-+-+-+-+-
・・・そうした諸部分を観察していくと、
<たまたまそうなってしまったかに伺える結果>でも、
<次第に造った人の意図が見えてくる>ものなのだ。
-+-+-+-+-+-+-+-

そう! たとえ社会の流行に流されているかに見えても、たとえ組織のイナーシャに押されているように感じられても、その時々、自分なりの意図を少しでも意識して、そこに「意味」を付け加えてゆくように日々努力していけば、
それらが、たとえ、いつまで経っても、てんでばらばらに離散(discrete)しているだけのように見えても、つまり:
<たまたまそうなってしまったかに伺える結果でも>
それらの響き合いを看取できる全体的視野で見たとき、新しい意味合いが立ち上がってくる:
<次第に意図が見えてくる>
かもしれないではないか・・・・

これは楽観か、楽観だとしても、長い目で見れば「相転移」につながるのでは?と希望を持つことはできる。

これ、堀辰雄が『風立ちぬ』のラスト近くで、(実はことさらの記述はないのだけれど)「いざ、生きめやも」と実感するシーンに通じるものがあると僕は思う。自分が放つ光について。自分にはほんの小さな光に感じられても、きっと遠くからは、はっきり見えているに違いないという発見。