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スタッフブログ

“Ars moriendi Ars vivendi est”(SF「時間封鎖」その2)

アルス・モリエンディ,アルス・ヴィヴェンディ・エスト・・・
・・・「死することは技芸であり、それは生きる技芸に通ず」

「時間封鎖」(下巻)の終盤、このラテン語の言葉が引用されている箇所の8ページ前に、全く別の表現なのに、ああ、これが「アルス・モリエンディ」の真意(←少なくとも作者の理解として)なんだな、という表現が出てくる。それは:

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まるで、とうとう星に手が届いたかのようだ。

そして、星もその手で彼の肉体に触れている。
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前段が「アルス・ヴィヴェンディ」、後段が「アルス・モリエンディ」・・・でしょ!

すこし前から引用して、文脈を追ってみましょう。

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彼は死ぬことを受け入れた。

死に直面した人間が、否定、怒り、受容の段階を経るという通説は、あまりに大雑把だ。このような感情は数秒で切り替わることがあるし、その段階を全く踏まないこともある。容赦ない死が全ての感情を出し抜いてしまう場合だってあるからだ。

しかし彼は自分が死ぬことを知っている。

そして僕は彼が人間らしからぬ落ち着いた態度で、その事実を受容していることに当惑していた。だが、今、僕は気づいた。彼の死は、彼の野望でもあるのだ。

一生をかけて解こうとしてきた謎、つまりスピン(時間封鎖)の意味を、彼は理解しかけている。そして、そのなかにおける人類の位置づけと、レプリケーターを打ち上げた張本人としての彼自身の位置づけを。

まるで、とうとう星に手が届いたかのようだ。

そして、星もその手で彼の肉体に触れている。彼を殺そうとしている。そして彼は、選ばれた人間として、自らの死を受け入れている。
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スピン(SPIN)とは? レプリケーター(Replicators)とは?

「彼」は、異星文明の末裔である「仮定体(Hypotheticals)」の地球に対する「時間封鎖」の意味を、命がけのレプリケーター作戦(つまり彼自身の神経系をレプリケーターNWと生物学的ソフトウェアで連結してしまう)で理解しようと挑んだのだ。

そうして、彼は・・・「とうとう星に手が届いた」のだ、確かに。

【余談】少しネタバレになることを恐れずに(決して意図的ではないですが)補足すると:

「仮定体(Hypotheticals)」やレプリケーター(Replicators)の原理は、どうも自己複製可能なフォン・ノイマン型生態系(von Neumann ecology)に近い感じ。

ある程度進化した知的生命体は、必ず「サスティナビリティの壁」にぶち当たり、滅び去るか、von Neumann ecologyに進化するか・・・というのが、このSFの根底に流れるテーゼ(SFとしては決して独創的なアイデアではないのに、ぐいぐい読ませるのは、たぶん上記の引用だけでお気づきの諸兄もあるこことと思いますが、人間観察の深さが文学レベルに達していて圧倒的リアリティを生み出しているから)。

僕が、感動したのは、今の地上が、まさに「サスティナビリティの壁」にぶち当たっている状況だから。それで、いろいろ考えさせられながら読みました。とてもラッキーでした。

(そういえば、昨年の11/26にUPした “「ナノマシン」あるいは「空と水と土と、そして私たち」” には、空中浮遊型ナノマシン:エアロヴォー(aerovore)のイラストがUPされています。これは、J.S.ホール『ナノフューチャー―21世紀の産業革命』に出てくる。これも自己複製タイプだし、まあ、ひとつの、フォンノイマン型マシンのイメージ的ご参考に)
http://www3.isit.or.jp/staff-blog/archives/711